東京高等裁判所 昭和41年(ネ)1536号 判決 1967年2月07日
控訴人・原告 高石国次郎
訴訟代理人 岩間泉
被控訴人・被告 網倉識
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の甲府地方裁判所昭和三〇年(ワ)第一三八号約束手形金請求事件の判決の執行力ある正本に基づく強制執行は、これを許さない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述および証拠の関係は、被控訴人において、「本件債務名義の内容たる請求権の消滅時効の起算日を、昭和三二年二月一〇日と訂正する。」と述べ、控訴代理人において右訂正に異議はないと述べたほかは、原判決の事実摘示記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
被控訴人が控訴人を相手方として甲府地方裁判所に対し、満期を昭和二八年一月三〇日とする金額一一万円の約束手形に基づいて、右手形金の支払を求める訴を提起し、右事件は同裁判所昭和三〇年(ワ)第一三八号約束手形金請求事件として係属したところ、被控訴人勝訴の判決が言い渡され、右判決の正本は昭和三〇年一二月二八日控訴人に送達されたこと、および右判決に対し控訴人から控訴の提起がなされたため、右訴訟は控訴審に係属するに至つたが、昭和三二年二月九日休止満了により終了したことは、いずれも当事者間に争がなく、被控訴人が右第一審判決当時、控訴人と同じく甲府市内に住所を有していたことは、本件口頭弁論の全趣旨に照し明らかであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、被控訴人に対する前記第一審判決の正本の送達も、遅くとも控訴人がその送達を受けた前記昭和三〇年一二月二八日までにはなされたものと認め得る。右の各事実によれば、本件債務名義たる前記第一審判決は、昭和三〇年一二月二八日の翌日から起算し一四日後である昭和三一年一月一一日の経過とともに、確定したこととなるというべきである。
控訴人は、前記第一審判決によつて確定した被控訴人の手形金債権は、右判決の確定した昭和三一年一月一二日から起算し満一〇年後である昭和四一年一月一一日の経過とともに時効により消滅したものである旨主張するに対し、被控訴人は、右債権の消滅時効は前記訴訟が休止満了によつて終了した日の翌日である昭和三二年二月一〇日から進行を始めるものと解すべきで、右のように解するときは、まだ消滅時効は完成していない旨抗争するので、この点について判断する。
民法第一七四条の二第一項の規定の趣旨によれば、確定判決によつて確定された権利の消滅時効の期間は、当該判決の確定したときからその進行を開始するものと解すべきであるから、本件債務名義たる前記第一審判決によつて確定された被控訴人の手形金債権の時効期間は、時効中断などの特段の事由がない限り、右第一審判決が確定したとなすべき上記昭和三一年一月一二日からその進行を開始するものといわなければならない。
ところで、本件のように、被控訴人が原告として手形金請求の訴訟を提起し、被控訴人勝訴の第一審判決がなされ、これに対し被告であつた控訴人からの控訴の提起により、右訴訟が控訴審に係属した後いわゆる休止満了により終了するに至つた場合でも、右訴訟が控訴審に係属していた間、すなわち右訴訟が休止満了により終了した上記昭和三二年二月九日までの間は、被控訴人の手形金債権についての裁判上での権利主張が継続してなされていたものといい得るから、その間は、時効中断の効力も存続していたものと解しなければならない。
そこで、右控訴審係属中の被控訴人の権利主張が、右訴訟が休止満了によつて終了した後も、なお裁判上の請求としての時効中断の効力を有するものであるか、それともたんに催告としての時効中断の効力だけしか有しなくなつたものであるかどうかについて考える。
裁判上の請求に最も強い時効中断の効力が認められている所以のものは、裁判上の請求が、訴の提起または相手方の提起した訴に応訴して、権利の存在を判決によつて終局的な確定を求めんとする権利主張であることによるものと解せられる。しかるに、訴を提起した者が自らこれを取り下げ、または相手方の提起した訴に応訴して自己の権利を主張していた者がその訴の取下に同意をなすことは、自己の権利について判決による終局的な確定を求める意思のないことを表明するものに外ならないから、かかる者のなした訴訟係属中の権利主張については、裁判上の請求としての時効中断の効力を保有せしめないことにしても、少しも当事者の利益を不当に害することにはならない。この理は、いわゆる休止満了により訴の取下とみなすべき場合においても異なるところはない。けだし、訴訟が休止となつた場合でも、当事者は三ケ月以内に改めて期日指定の申立をなすことによつて、いわゆる休止満了に至ることを防止し得るに拘わらず、あえて放置して満了に至らしめることは、当事者において自己の権利について判決による終局的な確定を求めんとする意思の欠如の現れであることにおいて、訴の取下の場合となんらの逕庭が存しないからである。民法第一四九条が、裁判上の請求は訴の取下の場合には、時効中断の効力が生じない旨規定している趣旨は、以上のような理由によるものと解するのが相当である。これに反し、控訴の取下またはいわゆる休止満了により控訴の取下とみなすべき場合には、たんに控訴提起の効果が遡及的に消滅し、訴訟が始めより控訴審に係属しなかつたことになるにすぎないのであつて、第一審判決を失効せしめる効力はなく、却つて控訴の取下または休止満了により第一審判決は確定するに至るのであるから、訴の取下(取下とみなされる場合を含む)の場合とは、必ずしも同一に論ずることはできない。ことに控訴の取下は、相手方の同意を要しないでなし得るところであるから、控訴の取下の場合に、控訴審係属中になされた相手方の権利主張が裁判上の請求としての時効中断の効力を失うに至るものと解するにおいては、相手方は、控訴の提起をなした者の恣意によつて、不当に利益を蒙むることを余儀なくせしめられる結果が生ずる。例えば、本件の如き事案において、もし控訴人が控訴提起期間の経過したときから一〇年を経過した後に、控訴の取下をなしたと仮定するに、この場合に控訴の取下により、被控訴人の控訴審係属中における手形金債権についての主張が、裁判上の請求としての効力を失い、たんに催告としての効力しかないと解するときは、第一審判決で確定された被控訴人の手形金債権は、訴訟係属中は、実体法的には常に催告をなしていたと認めるを相当とするから、控訴の取下後六ケ月以内に更に強制執行をなすのでなければ、時効中断の効力がないこととなる。右の如く解することは、被控訴人に不当に不利益を甘受せしめるもので、時効中断を認めた法律の趣旨を殆ど無意味なものにならしめるから、採ることはできないものと考える。また、第一審で勝訴の判決を受けた当事者は、休止満了により控訴の取下とみなされることによつて、自己の権利の存在を確定した第一審判決が終局的に確定するに至るという利益を有するものであるから、改めて期日指定の申立をしなかつたからといつて、直ちに裁判上での権利の主張を放棄したものと認めるのは相当ではなく、むしろ期日指定の申立をしなかつたのは、第一審判決の確定を希求した意思の現れであるとさえ認められないではない。なお、民法第一四九条には控訴の取下または控訴の取下とみなすべき場合のことは、なにも明定していないし、また控訴の取下(取下とみなされる場合を含む)によつて、控訴審係属中に生じた実体法上の効果である裁判上の請求としての時効中断の効力が遡及して消滅すべきものと解すべき法律上の根拠もないから、控訴の取下またはいわゆる休止満了により控訴の取下とみなすべき場合には、控訴審に係属中になされた、すなわち、控訴の取下のなされた日、またはいわゆる休止満了により控訴の取下とみなされた日までの権利の主張は、控訴の取下(取下とみなされる場合を含む)に拘わらず、なお裁判上の請求としての時効中断の効力を有するものと解するを相当とする。これを本件についてみるに、被控訴人は控訴人を被告として甲府地方裁判所に対し、上記約束手形に基づいて手形金一一万円の支払請求の訴を提起し、同裁判所は被控訴人の右請求を容れ被控訴人勝訴の第一審判決を言い渡したところ、右第一審判決に対し控訴人から控訴の提起をなし、右訴訟が控訴審に係属したが、昭和三二年二月九日いわゆる休止満了により終了するに至つたものであることは、上記認定のとおりであるから、被控訴人は右第一審判決の確定することにつき利益を有していたことが明らかである。したがつて、前記説示したところにより、右訴訟が控訴審に係属中、継続してなされていたとみるべき被控訴人の右手形金債権についての主張は、右訴訟が休止満了によつて終了したにしても、なお裁判上の請求として時効中断の効力を有するものと認めるのを相当とする。
そうだとすれば、本件債務名義たる上記第一審判決によつて確定された被控訴人の手形金債権の消滅時効は、前記訴訟が休止満了により終了した昭和三二年二月九日までは、中断していたものというべく、したがつて、右手形金債権の時効期間は右中断事由の止んだ同年二月一〇日から更めてその進行を開始するものというべきであるから、控訴人の主張する昭和四一年一月一一日には、まだ一〇年の時効期間が経過していないことが明らかである。したがつて、右手形金債権が右日時の経過とともに時効により消滅したという控訴人の主張は採用できない。
次に、控訴人の権利濫用の主張について判断するに、被控訴人が本件債務名義に基づいて、昭和四一年三月一九日に至り差押をなしたことは当事者間に争がないところであるが、被控訴人が右日時に至つて始めて本件債務名義に基づいて強制執行にでたからといつて、ただそのことだけで、被控訴人の前記差押を直ちに権利の濫用であると認めることはできないから、右主張も採用できない。
以上のとおり、控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきである。
右と同趣旨にでた原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項に従い、これを棄却することとし、当審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 村松俊夫 判事 土井王明 判事 兼築義春)